行ってきました。旦那さんの親戚の方が亡くなり。

事の運びとか全てが初体験で。

1度顔を合わせた程度で顔も覚えていない方なので

はっきり言って悲しくはなく客観的にそこに居た。

焼香や読経の間、そこに死体があるのが不思議な感じがした。

私はこの豪華セットや焼香や読経はいらないと思った。

だって、もう、完全に、生きている人間では、ない。

初めて死体を見た。死化粧のせいでリアル感が無かった。

私が首吊りで死んだら、(自殺で葬儀はしないだろうが)

がんばっても見れる顔にはならないだろうなと思った。

顔を撫でて泣く家族。彼らにとっては「死体」ではなく「彼」。

肉体が焼けて骨になるには業火で約2時間。結構かかるんだなと。

お骨を拾う時、思ったより形がはっきり残っていた。

骨は骨であり、さっきの死体とさえ別モノに思えた。

全てにおいてリアル感がまったく無かった。

近しい人であれば全然別だったんだろう。

一般的に、年をとればとる程多くの知り合いの死と死体に向き合う。

そうやって人は序々に死を自分に取り込んでいくんだなと思った。

なにはともあれ寝不足と過食嘔吐で気持ち悪い。

寝よう。死んだように?「死んだように」なんてない。

死は、絶対的に、死だった。

死んだように寝ることも死んだように生きることも、ありえなかった。

私は何はともあれ生きている人間で、生きてるから寝る。

自分の手を見つめた。

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