カウンセリング−何を話せというのだろう。
2004年11月10日 心のはけ口明日はカウンセリングの日です。
何を話せというのだろう。
起きた事実も それが喚起した感情も
全てを片っ端から素早く忘れてしまうのに。
無理矢理思い起こして 再び痛みを味わいながら
それを語ったところで 何になるのだろう。
きっとあなたは静かにそれを聞き
どうなりたいかも分からない私を
心の中で密かに投げ出すだけだろう。
そもそも私は 自分のどこに
カウンセリングを受ける価値があるのかも分からない。
ゆえに何をもって「回復した」といえるのかも。
ただ免罪符を欲しているだけなのかもしれない。
働かず なまけものの役立たずとして生きている 免罪符を。
何を話せというのだろう。
起きた事実も それが喚起した感情も
全てを片っ端から素早く忘れてしまうのに。
無理矢理思い起こして 再び痛みを味わいながら
それを語ったところで 何になるのだろう。
きっとあなたは静かにそれを聞き
どうなりたいかも分からない私を
心の中で密かに投げ出すだけだろう。
そもそも私は 自分のどこに
カウンセリングを受ける価値があるのかも分からない。
ゆえに何をもって「回復した」といえるのかも。
ただ免罪符を欲しているだけなのかもしれない。
働かず なまけものの役立たずとして生きている 免罪符を。
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